今まで訪問治療をしてきた中で、介護中のご家族からしばしば「最近、やたらと痛がるようになった」という訴えを耳にします。
医療保険を利用した訪問マッサージなどの治療の仕事に携わっていてご高齢者が多いので認知症の患者様も当然いらっしゃいます。
認知症が進むにつれて痛がりになっていく傾向があります。
(加齢とともに体力が低下するためだという説明も可能ですが、認知症を伴わない方には特にそういった傾向が見られないことから体力低下を主たる理由にするには無理があると思われます。)
嗅覚、聴覚、満腹感、バランス感覚など多くの感覚が分からなくなるということと矛盾するようですが、生命維持のための最も根源的な感覚のせいか、痛みに関する感覚は鈍くはならないようです。
以前は「鍼の響き」や、「マッサージの痛気持ちいい」という感覚を好んでいた方が、だんだん、同じような刺激に対して不快感を示すようになっていくことがあります。
ご家族も、以前なら痛がらないことで痛がる場面を目にされて戸惑うと思います。
このことを理解するには「感覚」と「認知」を分けて考える必要があります。
「感覚」
高齢化に伴う自然な現象として、嗅覚・聴覚・味覚という「感覚」が鈍くなり、バランス「感覚」も悪くなるなど、多くの「感覚」が鈍くなる… これらは「感覚」レベルの話です。情報をキャッチするセンサーの精度が悪くなったためそもそも情報がキャッチできていない。テレビで言えば、電波(情報)が受け取れていない、という状況です。
「認知」
認知は次のレベルの話で、感覚器が捉えた情報の「意味を理解・評価」するというレベルです。 視覚という感覚が捉えた情報が、何であるか、自分にとってどんな意味があるか、を認知、一般的には「理解」するという語が分かりやすいかも知れません。言語という「音」を耳の感覚器官で聞こえたとして、それが雑音ではなくて意味を「認知」する=自分の名前であることを認識する、
視覚という感覚でいえば、自分の目に映っているのは「人の顔」(=感覚)で、それは「自分の孫」だと分かる(=認知)、ということです。この認知の能力が低下するから認知症と呼ばれるわけです。
身近な例で年を取ると味が濃くなるということが言われますが、 味刺激を知覚する感覚(センサー)が衰えればが、「うまみ成分(グルタミン酸・イノシン酸等のアミノ酸分子)の存在」や「しょっぱさを伝える塩化ナトリウムの存在」、という「情報」そのものが読み取れていないのでだんだん味が濃くなります。 ちなみに大人が野菜を美味しく食べられるのも、子供のころに敏感だった苦みセンサーが少し馬鹿になったからです。(子供が野菜や苦いものが苦手なのは感覚が敏感だからです。)
ただ、この場合、濃い味、つまりセンサーがキャッチできる程度に情報を強めれば「おいしい」「まずい」ということを認知(理解)できます。
単に耳が遠くなっても補聴器で音刺激を強めてあげれば会話がちゃんと成り立つのは感覚センサーを補ってあげれば意味を理解出ているからです。
痛みに話を戻すと、本来(正常な場合)、 治療の刺激は 体にとっては 生理学的な面から見れば侵害刺激です。 そして、その場合の基本ルートは侵害刺激―痛い―不快―避ける、となります。
つまり、「鍼を刺される」、「マッサージで凝っている部位( 発痛物質が集まっている部位)を押される」、というのは体に対する攻撃刺激なので危険を知らせることになります。
しかし、普通はその情報が前頭葉に送られた時
この感覚(侵害刺激)はコントロール下にある(いつでも止めてくれと言える状況)、
文脈(治療として行われている)
自分に将来的に利益をもたらす(コリや慢性痛が「将来的に」軽減・解消されるだろう)ものである、あるいは過去の経験との照らし合わせ(かつてこの感覚を味わったことがあるがその後良くなった)、
こういう類の行為は日本で昔から行われてきているものだ(文化的な修飾)など
という認知(評価・理解)による修正・修飾がなされるので 結局「痛いが不快ではない」「痛いが気持ちいい(いた気持ちいい)」という不思議な感覚が出来上がります。
(触られるという感覚で考えると分かりやすいですが、嫌いな人、好きな人ではまるで異なる結果になります。誰がどういう状況で触ったかということを「認知」した結果です。)
認知症(ここでは前頭葉の機能が低下)が進むとこの修正効果が得られないので生の「痛い=不快」が最終ジャッジになります。
したがって認知症を伴う患者様の治療には特別な配慮が必要になる(治療行為による侵害刺激を低いレベルで入れていかないといけない)場合があります。
*バランス感覚や聴覚などが明らかに衰えていくのに対して、侵害刺激に対する感度が老化で衰えていくという研究は目にしたことがありません。生命維持の根本的感覚である侵害受容感覚は衰えにくいのかもしれません。
*痛くても忘れてしまうだろうから大丈夫だろう、という意見は誤りです。
「認知」の部分は機能障害を生じますが、「感情」のレベルは基本的に機能障害を生じません。{ 認知症は、理性(認知)を担当する大脳新皮質の障害で、感情を担当する大脳辺縁系の障害ではありません(*1)}。
したがって、喜怒哀楽は正常な人と基本的に同じことになりますので、それを理解しないまま、治療なり介護なりの行為を行っていると「なんだか理由は思い出せないが嫌な思いをした」という(*2)状態が出来上がり長期的に見て良い関係でいられなくなります。
(*1:記憶を担当する海馬は大脳辺縁系に属しますがここでは無視してください)
(*2:オリバーサックス『音楽嗜好症』に紹介されていますが、 エドワール・クラパレード Edouard Claparede が健忘患者(コルサコフ症候群)に対して行なった有名な実験( この患者は重度の記憶障害のため、病棟を訪ねる毎に自己紹介をしなければならなかった。ある日、手の中に画鋲を隠して握手をすると、彼女は痛みに驚いて、慌てて手を離した。次の回診時に、患者は医師を覚えていなかったが、握手しようと手を差し出すと、彼女は握手を拒否した。(Claparede E. Recognition et moite Arch Psychol. 1911;11:79?90./ (Neal J. Cohen))があります。認知症そのものについてではありませんがこのようなこのような状態になりかねません。